御神徳

その一 酒造守護
大山祗神を特に酒解の神と醸造の御神徳を讃えておまつり申し上げ、木花咲耶姫命を酒解子神、瓊ヶ杵尊を大若子神、彦火火出見尊が小若子神と、醸造酒解の御神徳を讃えてのその御神号として御祀り申し上げてあるのは、日本書紀に名高い木花咲耶姫命が彦火火出見尊を御安産になったのを御喜びになった大山祗神が、狭名田(サナダ)の茂穂で天甜酒(アメノタムサケ)を醸み造って天神地祓にお供えになった事に始まる日本酒醸造の始まりの神話による御神徳を讃えて、特に酒解の御神号を捧げ奉り、御同座の神々も醸造に縁のある御神号を捧げ奉って御祭りしてあるのは、この梅宮大社ただ一社だけであります。これ故に古来より全国酒造家の尊崇をお受けになって各地の酒造に御祭りされております。まことに梅宮大社は全国の多くの醸造守護神中で創祀の最初から御神徳をこの醸造守護の上に仰がれた唯一社の神社と申すべきで、醸造家が特別の尊崇を捧げておられますのは申すまでもありません。
橘氏の氏神として子孫繁栄を祈願して御祀りされるに当たって、何故に醸造の神として御神号を奉られたかと申しますと、本酒醸造の歴史より考えますと、奈良朝より平安朝初期に至るまでの朝廷中心の酒造が行われていた時期に於いては、日本酒醸造の責任者は女人であって刀自と申したのでありまして、梅宮を創祀された、諸兄公の母君犬養三千代夫人は当時宮中にあって酒造の責任者であった為ではないかと考えられるのであります。

その二 授子安産守護
木花咲耶姫命は、瓊ヶ杵尊の皇后に立たれ無戸室の燃えさかる中で彦火火出見尊を御安産になりました。梅宮大社が血統存続守護の神として古来信仰されますのはこのためで、檀林皇后も特に祈願あそばされて仁明天皇を御懐妊御安産になったのであります。この時にまたげ石をまたげられたと云う云い伝えがあり、又梅宮の西方すぐ近くにあった鈴の御殿と云う御産殿の床に、梅宮社殿の砂を敷いて安産されたと云うことにより以来梅宮安産の御守として本社社殿の下の徳に祓い清められた砂を用いた産砂(ウブスナ)の御守りと云うのが安産の御守として用いられて今日に至っております。此の由来から此の御守は産気付かれたときに産床の下に敷くという特異な使用法になっております。
此の様に奈良朝創設以来授子安産の守護神として朝野の信仰をあつめられました。
古来宮中より、皇后、中宮の御懐任の時は御安産の為に、御子のおわさぬ時は授子祈願の為に、梅宮大社創祀当初から神殿に奉安する寿命神石を御拝覧になる御例があり、又産床の下に敷く産砂を受ける古習や「またげ石」をまたぐ奇習が広く民間にも伝わって、今日なおその霊験を仰がんとする参詣者が多いのであります。
なお、宮弊社時代には宮中の御安産祈願のために特に祈願を奉仕して、御誕生の際の「へその緒切りの竹へら」を祈願の上御納めしておったのであります。これを「阿乎比江」と云っておりました。

その三 学業成就守護
相殿に奉祓の嵯峨天皇は、平安の始め御自ら書道に秀で三筆の第一と讃えられ学業の興隆の基を築かれた御方であり、檀林皇后が唐より名禅僧義空を招いて学問の寺、檀林寺を創設されたのを始め、摂社に奉祓する右大臣橘氏公公は我が国最初の学校橘学館院を創設され、又、橘逸勢公は弘法大師と並んで当時の三筆の一人でもあり、遣唐使として唐に渡り専ら書の道を究められた書道の先達、創設者であり、皆揃って平安初期の学問興隆の基を築かれた方々であります、誠に学業成就の守護の神々として古来より尊崇されております。

その四 縁結の神
大山祗神は、その娘の木花咲耶姫命を天孫瓊ヶ杵尊の御后として、縁結びされた神様であります。

その五 音楽芸能の神
相殿に坐します仁明天皇はその御事歴に示すごとく、我が国始めての作曲者として、又横笛の名手として在らせられ、音楽芸能の守護神として崇められているのであります。