建造物

主要建造物は元禄十一年火災により焼失、五代将軍綱吉公の命により亀岡城主奉行となり、元禄十三年再建せるものである。
本殿、若宮社、護王社、楼門、拝殿は昭和58年4月「京都府登録文化財」となる。

造 営 年
「本殿」元禄十三年
「若宮社」元禄十三年
「護王社」元禄十三年
「拝殿」元禄十三年文政十一年再造営(台風大破による)
「随身門(楼門)」※元禄十三年文政十一年再造営(台風大破による)
「東門」元禄十三年文政七年再造営(一修家の寄進による)
「神饌所」明治三十八年
「社務所」大正五年
「池中亭」嘉永四年
「参集殿」昭和九年
「北土塀(練塀)」慶応二年
「築地塀」慶応二年


※「随身門」とは、左右に兵杖を帯びたる神像を安置してある門で、この二神は
    豊 磐 間 戸 命(トヨイワマドノミコト)
    奇 磐 間 戸 命(クシイワマドノミコト)
 で、俗に右大臣左大臣と呼ぶ。